今日お話しすることは被害者意識をやめると言うことです。
50歳から楽に生きるヒントとしてお伝えしたいと思っています。
結局何もできてなくない?
人のせいにするっていうことが誰かの言うことことばっかり聞いてきて
誰かのためにとか何かのために何かに合わせて生きてきて
その結果 、”結局何もできてなくない?2と思ったりする事ってあるんじゃないかな 感じています。
例えば私も結婚して子供がいて家族のために と言う生き方をこれまでやってきて、
もちろん 自分のことも やっては来たんですけれども
生活の時間の大半は家族に捧げてきたって言うとちょっと大げさだし
もうそれ自体が 被害者意識 みたいになってしまいそうなんですけれども
家族のために って言うことを 一番大事にして生きてきたんです。
家族とか子供は巣立っていくし、子育ての目的 最終ゴールって自立 じゃないですか。
私はなんかそういうふうに思いたくないっていう思いが結婚する前からあったので
子供に依存しないっていうことと
家族でも大事にしながら自分の考えを尊重したいなと思っていたにもかかわらず、
”私は何のために生きてきたんだろう?”っていうこと最近すごく思ったりするんです 。
それが最終的に自分の意志で決めてこなかったことが大きな原因だなと思うんです。
例えば家族のことを尊重してこうしますっていうことや
結婚はしていたとしても実家の両親の言う通りにしてきたとか
夫の言う通りにしてきたとかだとそこに自分の意志はないんです。
でも 意志がないということは 責任もないということになって楽なんですよね
”私 言われた通りにやっただけなんですけど~”みたいに逃げ道もあったりするんです
けれども 言われたことを受け入れて最終実行したのって私ですよね っていうことになるので
なんだかんだ言いながらも決めてないとかって言いながらも
結局最終的な、例えて言うと ミサイルの発射のボタンスイッチを押してるのは私なんですっていうことになるわけです。
自分で そうしてきたっていうことになるんです。
被害者意識の弊害は自分がないこと
被害者意識になるっていうことの弊害 っていうのがそこに自分がない と言うこと。
そして主体的でないっていうことになるんです。
そうなるとやらされ感とかさせられ感 っていうのが心身と共に ダメージも大きくなって
どんどん自分を無くしてしまうんです。
自由もなくなりますし 依存っていうのは ずっと続いていくんです。
だけれども あえてそこに従うと決めて決める 。
”私はこの子育て中とか家族に対しては家族の言う通りに従うんだ”と意志を持って
自分の考え で答えを出して 従っているとしたら
心身の消耗具合とか依存度とか自由度 っていうのが 全く変わってくるっていうのが それがメンタルの影響っていうのもあるんです。
面白い実験があって、
人が座っています 。上から押さえている人がいます。
座ってる人が 立とうとした時に”押されてる”って思ったらいつまでも立ち上がれないし その力に抗うことができないんです。
でも座っている人の意識を変えて、”押させてる 押させてあげてる”っていう風な 考え方に変えると全然その力も負けないというか自分の力で立ち上がることができるんですよね
かけてる力が同じでも意識でその全然結果が変わってくるっていうことになるわけです。
自分を取り戻すポイント
被害者意識をやめる そして自分の主体性を取り戻すということの ポイントとしては
意図してこうしているんだっていうことを 自分の中で意識を変えていくことが必要なんです。
今 私の中でマイブームで見ている Hulu の海外ドラマでNYガールズダイアリーっていうのがあるんですけれども
https://www.hulu.jp/girlsdiary
その中で宗教の関係で髪の毛を覆うようなターバンを巻いている女性のカメラマンの人がいて
どうしてそれをかぶっているのか?って聞かれた時に
”これはかぶらされているのではなくて 私は私がかぶると決めてかぶっている。
だから やらされているのではなく 抑圧されているのではなく私は自由なんだと言っていたんです。
抑圧されているのか 自分で決めてそうやっているから 本当は自由なんだって思うかで
人生は全然変わってくるんです。
なので被害者意識をやめて自分でちゃんと意思を持って
そして選択して決めているっていうことに意識を変えていくと
もっともっと自由になっていけるんです。
自由は人によって解釈も違うし 自由とは何ですか の答えがそれぞれ違っていても何も間違いではないんだけれども
自分の自由を取り戻すためにも それは人生のハンドルを取り戻す っていうことでも
自分で決める決めたことに自信を持つっていうことかな という風に思いました。